みなさんこんにちは!
長崎にはたくさんの観光地がありますが、長崎の観光地と言えばどこを思い浮かべますか?
まず多くの方は、グラバー園、出島などが思い浮かぶことでしょう。
それから長崎新三大夜景に選ばれた稲佐山、坂本龍馬が開いた亀山社中などがあるのですが、今日はみなさんにすこしだけマイナーな観光地?を紹介したいと思います!!
まず、今回私が訪れたのは、JR浦上駅から5分程度の場所にある山王神社(さんのうじんじゃ)です。
山王神社には有名な一本足鳥居があります。
最近では山王神社にある被ばくクスノキを題材にして「クスノキ」という歌を我らが福山雅治さんが作られたようですね!
私は長崎生まれの長崎育ちで、実はうちの祖父も被爆者です。
原爆落下当時は香焼という爆心地から16km離れた場所で被ばくしました。自宅は爆心地のすぐ近くの浦上に住んでいました。
そのため祖父からはたくさん戦時中や、原爆投下後の話などを小さいころからよく聞かされていました。そして祖父は私や、兄弟、いとこを連れて、原爆資料館や平和公園、爆心地公園などたくさんの場所によく連れて行ってくれていました。
しかしながらまだ一本足鳥居を見たことがなく、ずっと見てみたいと思っていました。そして今回たまたま近くに用事があったので、ちょっと足を延ばして一本足鳥居を見に行ってきました!
山王神社まではJR浦上駅を出て、向かい側へ渡り、しばらく直進します。
まっすぐ歩いていくと別の大きな道に行きあたるので、そうすると左に曲がってまたまっすぐ歩いていきます。
すると山王神社(一本足鳥居)と書かれている看板があるので、あとはそれに従っていけばOKです!
一本足鳥居は結構すぐに見つけることができます!
初めてご対面する一本足鳥居。71年前に原爆でやられたとは思えないぐらい立派に立っていました。
階段を上ると原爆によって壊れた左半分がならべておいてありました。
石でできた鳥居が壊れてしまうなんて、相当な力の爆風が吹いたのでしょうね。想像を絶します。
それからさらに進んでいくと、左側に山王神社がありました。まずは、福山さんの歌の題材になった被ばくクスノキがお出迎えしてくれます。
被ばくクスノキの前には、大きな石がおいてありました。
説明を読むと、それは原爆の爆風によって飛ばされ、木の中に入っていたそうです。
その石はものすごく大きくて、成人男性でも持ち上げるのは大変だと思います。直径30cm以上はあったかな...?
爆風の凄まじさを物語っていますね。
そして、被ばくクスノキは熱線によって中がやられてしまったために、セメントなようなもので補強がされてありました。
このクスノキの中には、強烈な爆風によってたくさんの小石が中に入り、また熱線によってとても大きなダメージをうけ、瀕死の状態だったそうです。
クスノキはほとんど内側は補強されていて、おそらく誰もなにも治療を施してくれなかったら、普通だったら腐って死んでしまっていたと思います。
それでもたくさんの方のおかげですっかり回復し、今ではたくさんの葉をきらきらさせながら、山王神社に来る人を歓迎しています。多くの人の手を借りて今ではすっかり元気になったこのクスノキを見て、植物の生命力の強さを感じました!!
神社の境内に入ってみると、中には神殿があり、隣には保育園がありました。
山王神社は住宅地のなかにあって、このクスノキは毎日通勤、通学するひとたちを見守っていて素敵だなと思いました!
71年前に原爆が長崎に落ちましたが、今後100年は植物が育たないといわれた長崎は、現在では本当に原爆が落とされたのかというほど復興し、ほかの街に負けないぐらい植物が生い茂り、とても美しいです。
今ではどこを探してもほとんどその爪痕をみつけることはできません。
長崎のこどもたちは毎年8月9日は登校日です。8月9日には各学校で平和集会があり、学校によっては被爆者の方が訪問されて、学生たちに自分が原爆で体験したことを話してくださったりします。
71年前など、過去のことかもしれません。しかし、71年前の8月6日、9日に一瞬にして自分や家族、友人、知人、そして動物などの命を奪われた人や生き物が大勢いるということは事実です。
この山王神社の被ばくクスノキを見て、私はもう一度戦争とは何なのか、平和とは何なのか考えさせられました。
また、多くの方に長崎に来ていただいて、輝かしい歴史を持つ長崎と、また71年前の長崎、広島で起こった惨事について改めて知ってもらい、たくさんの亡くなった方の命を無駄にしないように、しっかりと私たちが知って、よく考えて行動していかなければならないなと思いました。
みなさんも長崎にお越しの際には、山王神社まで足を運んでみてください!
Casa Noda Yuri